今体罰についていろいろな所で色々な議論が飛び交っています。
ガッツリ体育会系の私ですが、私なりの意見もあります。
今回は私の高校野球時代の恩師の言葉を思い出して書いてみます。
高校野球の監督でありながら、学校では社会史の教師をしていました。
サムライというより「武士」みたいな江戸時代みたいな方でしたね。
何かのインタビューの時でしょうか
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相手にこう言っていたのをかなりはっきりと覚えています。
私は教師です。
生徒たちを指導する立場にある人間ですから、選手ではなく「生徒」と呼んでいます。
そして、生徒には私の事を「監督」ではなく「先生」と呼ばせています。
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目的と目標の違い
この話も何度となく聞かされました。
高校球児の私たちの夢は当然「甲子園出場」です。
それは先生たちも親たちも当然知っていますし、望んでもいました。
だけど・・・・・
指導者の立場である先生は、そういった私達(親も含めて)に何かのタイミングで「目的と目標の違い」の話をします。
というより悟します。
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いいかお前たち
甲子園はあくまでも「目標」なんだぞ。
甲子園に行くことが「目的」では絶対に強くなれないんだ。
わかるか!
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答えは
わかりません・・・・でした。 しばらくは
先生の言う意味はこうです。
先生は指導者。
しかも若く成人にも達してなく、人間としても未熟な私達を相手にしています。
いわば全員が「これからの人間」なのです。
ゆくゆくは、地元や街や市・・・・・広く言えば国を背負う若人たちです。
先生は、多くの生徒が野球人生はすぐに終わってしまうことを知っています。
その後は「社会に出る」という現実が待っています。
先生は、良く言いました。
お前たち、立派な社会人になれ! 立派な大人になるんだぞ!!!
先生は私達に、社会で生きていく厳しさや今の大切さをそういった言葉で教えてくれていました 。
甲子園は目標(夢)であって目的とは「立派な社会人(大人)になることだ」
わかりますか?
私には良く理解できました。
苦しさに耐える事。究極の場面でどう考えてどう凌ぐか。
同じ釜の飯を食った者同士の結束の固さ。
後輩への接し方。
先輩への尊敬。
礼儀。
挨拶。
涙。
喜び。
親への感謝。
野球を通じて色々な事を教わっていたのです。
その御蔭で16歳にして、私の友達よりも若干早く親への感謝を口に出せる様になっていました。
社会に出てみると
先生の言っていた様に、社会で働くって本当にすごいなって感じました。
お金を稼ぐってすごいことなんだ
野球をやっていた頃なんて、(甲子園に出たが)本当にただの通過点にしか感じません。
※ その頃は自分の世界が一番すごいんだなんて思っていたことも有りましたからね。
何かのテレビで、体罰はイカン!!ってお題で番組が進み
その中で、ある高校の指導者が取り上げられていました。
その内容は「怒らない監督」
指導方法の中に、1年生が3年生の生徒の名前を「呼び捨て」で呼ぶ事を
方針としているそうです。
上級生は「全然平気です」っていっていましたね。
その思惑はあって当然なのですが
私はその先を懸念したのです。
先の私の高校野球時代の恩師の話を持ってくると
その生徒たちは今後は、そのまま大学に進むとか、社会人に進むとか道がありますよね。
そのスポーツを続けても続けなくてもどちらにせよ、今と環境は変わります。
その先の受け入れ先の体制が、今までとは違う環境かもしれません。
社会人になって上司を「呼び捨て」や「下の名前で呼ぶ」なんて事が
まかり通るか。。。
まかり通らないのであれば
今までとは違うルールで、今までとは桁外れにレベルの違う荒波の社会と言う世界で
生きて行かなければいけない場所で、意識をどこまでアジャストできるのでしょうか?
できなかった場合、その子たちはどうなってしまうのでしょうか?
当時の指導者はその時どういう言葉をかけてあげられるのでしょうか?
スポーツの世界で話しましたが、そうでなくても共通する事があるはずです。
指導者と呼ばれるかたも、まずは自らが「立派な社会人(大人)」であり、その言葉一つ一つがその子たちの
大事な将来を左右する事になると言う意識を持ち続けて指導して頂きたいです。
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